「これ。」

そっけない声が聞こえ、私が顔を上げると予想通りの人物がいた。
私は本を閉じて、彼の本を見る。
「・・・はい。」
自分では声を出しているつもりなのに、蚊の鳴くような小さな声しか出てこない。
私が本を受け取るとすぐに奥の机に歩いていってしまった。
また今日も少しがっかりした気持ちになる。

やはり今日も話せなかった。

私は返却の判子を本に押しながら、心の中で溜め息をついた。
実際にしたいけど、溜め息をついたら彼に聞こえてしまう。
彼が去った後に溜め息をつくなんて印象が悪い気がするので喉の奥にひっこめる。

彼が返してきたのは難しそうな哲学の本だった。
この前は知名度の高い新作の本だったから、読む本の範囲は広いらしい。
本を傍にある返却済みの棚に入れ、読みかけだった本を再び開く。

このところ私は毎週のように図書室に通う男子生徒がとても気になっている。
ので、彼が返却した本のカードからこっそり彼のことを知った。
彼のフルネームはわからないが、苗字は「東」のようだ。
たぶん「ひがし」じゃなくて「あずま」って読むんだろう。
学年は私と一緒だが、彼はC。でも私はGだから見たことないのも無理はない。
それにC組なら文系だから、これからもクラスが一緒になることはないだろう。
本の読むことが大好きな私が理系というのもちょっと変かもしれないが。


少し視線を上げて奥にある机の方を見た。
彼は今日も何かの本を読んでいて、テスト週間になると勉強もしている。
茶色の綺麗な髪。伏せた瞳。静かにページを捲る長い指。
男の子なのにそういうところは綺麗だと思う。
(なんか私変態みたいだ。)(視線を本に戻した)

彼は決まって水曜日の放課後に図書室を訪れる。
そして下校時刻ギリギリまでずっといて、最後に本を借りて帰っていく。

私がたまたま図書委員で水曜日の放課後のカウンター当番になったため、毎週彼に出くわすようになったのだ。
何故決まって水曜の放課後とわかったかというと、恥ずかしいことに二週間くらい毎日図書室に寄って覗いたからだ。
そこまでして調べた自分に自分が引いてしまう。
何故あんな徹底して調べたのかは今でもよくわからない。

図書室は静かで、すんなりと本の世界へ行ける。
もともと利用者の少ない図書室は放課後来る人は数人だし、図書室が騒がしくなることは滅多にない。
ほとんどの図書委員の子がカウンター当番なんかサボっているのに、私は彼のことが気になってサボったことがない。







きっかけは、もう去年になる秋のことだった。







運悪く後期の図書委員にされてしまい嫌々ながら水曜日の放課後図書室に行ったのに、
一緒のカウンター当番の子はサボってきていなかった。
司書の先生も適当にやり方を教えてくれたら奥へひっこんでしまい、私は一人になってしまった。
誰もいない図書室なので、独り言さえ空しくて言えない。
退屈で仕方なくて、私がぼんやりしてくると図書室に男子生徒が入ってきた。

さらさらした茶髪で、背も高くなかなか筋肉もありそうだったのでどこかの運動部に所属しているのかな、と思った。
顔は美形でもないけど不細工ってわけでもなくて、どちらかといえば爽やか系の特に特徴を持った人ではなかった。
目が合ってから無言で本を差し出され、私は戸惑いながら受け取るとすぐに奥の机に行ってしまった。


シャイにも程がある。無愛想な奴だと心の中で悪態をつきながら本の表紙を見る。
綺麗な空の写真がカバーの文庫本だ。
一番裏を開いて利用者カードに「済」の判子を押していると、
あの無愛想男が「東」という名前ということがわかった。名前を知ったのはこの時だった。
私は返却済みの棚に本を入れたが暇なので、なんとなく興味がわいたので私はその本を読むことにした。


読んでいる途中にどこかの湖が描かれた綺麗なしおりが挟まれていた。
あの無愛想な「東」くんのものだろうか。
私はちらりと横目で奥の机に座る彼を見る。
返してあげるべきなんだろう。こんな綺麗なしおりを失くすのは悲しいと思う。



けれど、どうしても話しかけるチャンスがつかめず、私はそのしおりを自分の手帳に挟んだ。



彼の返して来た本はとても面白かった。
普段本に興味を持ってなかった私は、とても新鮮な感動をして、他の本も読んでみたくなった。
彼をきっかけに私は本好きになってしまったのだ。




それから次の週、彼は私の予想通り放課後に来た。
また無言で本を差し出してきて、私も無言で受け取ると、またさっさと奥の机に足を向ける。
早くしないとあのしおりを返せない。あぁ、どうしよう。


えぇい、今しかない!

「あ、あの!」
緊張してちょっとどもってしまったが、気にしないことにする。
彼は少し不思議そうに私を見た。心臓がドキドキする。
「あの・・・この前の本にこのしおりが挟まってたんですけど・・・あなたのですか?」
私がしおりを見せると、彼は少し目を見開いた。

「あぁ・・・ありがとう。」

その時私の体が火がついたように熱くなった。
少しはにかんだ「東」くんの笑顔に心を奪われてしまったのだ。
あんな無愛想で、ぶっきらぼうな言葉を言うのに、なんというか可愛らしい笑顔をしている。


「い、いえ・・・」
私は震えそうになる手を必死で操作して彼にしおりを差し出した。
顔が赤くなっているのを気付かれないように、私は少し俯いてしまった。
心臓がうるさく動いていることを主張する。全身の血の巡りを感じているようだった。

そう、私は見事に恋というものに、ふいにやられたあの笑顔でつるっと滑らされ落っこちてしまったのだ。














「ねぇ、今日の放課後カラオケでも行かない?」
部活仲間の明るい恵梨が昼休みにそう言った。
私はお弁当の卵焼きを食べている最中で、飲み込んでから返事をした。
「ごめん、今日図書委員の仕事があるの。」
行きたいところは山々なんだが、残念ながら今日は水曜日なのだ。

「美雪は相変わらず真面目だねー。」
沙江美がにやにやと笑う。
事情を知られているだけあって、私は顔を熱くしながら軽く睨み返すしかなかった。
「沙江美、あんまりからかうのは可哀相よ。」
亜紀子が軽く沙江美に釘をさす。沙江美はわかってるよっと軽く笑った。


高二で同じクラスになったので、仲良くなった三人の友達。
恵梨は明るくて元気な姉御肌。沙江美はしっかり者だけど、ちょっと熱くて友達思い。
亜紀子はすごい美人だけど、照れ屋で優しくて可愛い子。
そんな色濃い集団で、私は正直一番地味だと思うが気にしない。
まぁ、こんな美人の三人と比べられたらたまったもんじゃないけど。


「で、どうなのよ。その図書室の彼。」
野次馬根性丸出しの沙江美が身を乗り出して私に聞いてくる。
「・・・どうって・・・どうもしないけど。」
そう言ってウインナーを頬張ると、沙江美はつまらなそうな顔をした。
恵梨と亜紀子は苦笑しながら言う。
「ホント美雪って恋愛には消極的だよねー。普段気が強いのに。」
「そうね。美雪かわいいんだし、アタックしてみればいいのに。持ち前の度胸で。」
「二人とも、最後の一言は余計。それに告白しようとかそういうんじゃないし。」
これは本当の気持ちだ。

友達の協力を得て彼のことを調べようと思ったら、徹底的に調べられるだろう。
けれど私は別にそんなことをしなくていい。
自分だけの力で彼のことを少しずつ知っていきたいし、別に知らなくたっていい。
微妙な発見をするのが楽しいんだから。



ほら、今日も彼が来た。
こうやって水曜日の放課後の数秒、彼が目の前に来るだけで満足だ。
いつものように一言ずつの会話とは言えない会話をした。
すると本を手渡されるときに腕に包帯が巻かれているのが少し見えた。

・・・・なにか怪我でもしたのだろうか。

視線は今日も合わさらないまま、彼は奥へ行ってしまった。
腕のことが少し気になるが、聞けるはずがないので心配くらいしかできない。

後ろにある柱時計の振り子の音が静かな図書室に響く。
そして奥をそっと横目で見れば彼がいる。
私はこの時間が大好きだった。

近いようで遠い、この時間を共有すること。
喋るわけでも、視線を合わせるわけでもないのにとても穏やかな気持ちになれる。

二言しか喋らず、去年から毎週のように会っているのに進展がひとつもないなんて、
いかにも私らしい恋愛だと本を盾にしてそっと笑った。
こんなゆっくりとしたテンポでいい。急ぐつもりなんていいし、欲だって出てこない。
そんな恋おかしいのかもしれないけど、漫画や小説みたいに急展開になれるわけないし、そんなの私らしくない。
静かな片思いを心に秘めて、このゆっくりとした時間がずっと続けばいいと思う。


「美雪ちゃん、」
私は聞き覚えのある声に、顔を上げると少し痛んでいる茶色の髪が見えた。
「・・・・藤元くん、珍しいね。」
藤元くんはサッカー部の部長で、明るく人懐っこい性格をした人気者だ。
こういう目立つ人と決して私は友達なんかになれない私だが、
学校内ではもう常識となっている亜紀子の彼氏なこともあり、クラスも一緒なので時々話す。

「だって俺本なんか読まないし。」
根っからのスポーツ少年は確かに読まないだろうなぁ。
私は藤元くんが苦笑するので、つられて笑った。
「で、どうしたの?亜紀子?」
藤元くんは亜紀子にベタ惚れだというのは、高二になって亜紀子と友達になったときからわかっていることだ。
私を訪ねてくる九割の理由は亜紀子に違いない。

「そう、どこにいるか知らない?今日一緒に帰る約束してたのに。」
口を尖らせる藤元くんはなんだか可愛らしかった。
亜紀子はいつも冷たい態度を見せているけど、照れているということは私も藤元くんもわかっている。

「さぁ・・・何にも言ってなかったよ。もしかしたら行き違いになったのかもしれないし、下駄箱確認してきたら?」
「なるほど!美雪ちゃん頭いいねぇ!」
にっこりと満面の笑みを浮かべられると、こっちまで嬉しくなってくる。
なんだか藤元くんて太陽みたいだよなぁ・・・。

「純平?」
藤元くんよりも低く響く声がして、私はかなり勢い良く横を見てしまった。
「あれ、聡(さとる)じゃん。怪我どうよ?」
「たいしたことじゃない。」
藤元くんも彼も少し意外そうな顔をした。
フルネームは「東 聡」というのだろうか。

「・・・・藤元くんの、友達?」
私はついついそう言ってしまった。すると藤元くんは頷く。
「聡は俺と同じサッカー部。強いんだぜ?」
「そうなんだ・・。」
ちらりと彼を見ると、表情は見たことのない柔らかさだった。
「なんだよ、また彼女から逃げられたのか?」
「うるせー。」
ムッとした表情の藤元くんを、彼はケラケラと笑う。

「あ、お前この子知ってるか?亜紀子の友達で、木村美雪ちゃん。」
「名前は初めて知った。けど毎週顔は合わせてる。」
彼はちらりと私の顔を見る。私も彼を見ていたため目が合ってしまって、どうしていいかわからず藤元くんを見た。
「そうなの、私いつも水曜のカウンター当番で。」
そう言うと、藤元くんはあからさまに顔をしかめた。

「聡、毎週来てるのか?相変わらず読書家だなー。」
「お前に勧める絵本を今度見つけておいてやる。」
「結構デス。」
二人のやり取りに、私は小さく笑ってしまった。

藤元くんは私を見て、微笑んだ。
「じゃあ俺は亜紀子を探してくるか。じゃあね、美雪ちゃん。」
「・・・俺には挨拶なしか。」
「愛してるよ、ハニー!」
そう言って出て行ってしまった藤元くんに、私はくすくすと笑った。

「・・・あ、」
彼とまた二人っきりになってしまった。・・・どうしよう。
私が困っていると、彼は小さく息を吐いた。
「・・・・・こう喋るのは、初めてだな。」
「・・・・・・そ、そうだね。」
心臓がバクバク言い始めた。頭が真っ白になってきて、どう喋ればいいかわからない。

「これ、借りる。」
「あ、はい。」
私は慌てて本を受け取る。スタンプを押して、彼は利用者カードに名前を書いていた。
今回借りるのは私も読んだことのあるSFの本だった。

「・・・これ、私も読んだこと、あるよ。」
ドキドキしながら、言うと彼は顔を上げた。
「面白かったか?俺この作家の本読むの初めてなんだ。」
「うん。最初はだらっとしてるけど、中盤からドキドキしちゃって徹夜で全部読んだ気がする。」
結構分厚い本なのだが、気がつけばその世界に引き込まれてしまって、寝ることも忘れて読むふけっていた。

「・・・へぇ。楽しみだな。・・・てか、徹夜してまで読むタイプなんだ?」
口許に笑みを抱えた表情は、私の心臓をさらに激しくされた。
「わ、悪い?つい夢中になっちゃうのよ・・・。」
彼はくすりと笑った。
「別に。俺もそういうタイプ。」
「・・・そうなんだ・・・。」
また、彼のことをひとつ知ることができた。しかも本人の口から。



彼は本を持って廊下へ向かったが、途中で振りかえった。
「なぁ、」
「・・・え?」
「今度、おすすめの本紹介してくれよ。」
少し微笑みながら言った彼に、私は何を言っていいかわからず小さく頷いた。
満足そうにした彼はゆっくりと図書室からいなくなった。
いなくなってから、私は力が抜けて机に突っ伏してしまった。
まだ心臓がうるさく鳴っている。顔が熱い。

「・・・これは、一歩近づけたってこと・・・?」
誰もいない図書室で、私は誰かに確認をとるように呟いた。
とりあえず良い本を探さなければ、と現実逃避するように思った。


メヌエット









(ゆるやかに。でも確実に次の章へと行く)





























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