久しぶりのわくわくした気持ちで、私はある変化に気がついていなかった。


コサージュのついた茶色のジャケットに膝にかかる白のプリーツスカート。
中はレースをあしらった赤茶のトップス。
メイクなんかしないけど、髪はゆるくウエーブをかけた。
私の全力をつくした、一番気合いを入れた格好だ。

こうも気合いが入っている自分が恥ずかしい。
けれど相手は社会人なわけだし(おまけにかっこいい)、
ちょっとでもおしゃれをしないと釣り合わないに決まってる。

駅の改札口で待ち合わせをしているのだが、待ち合わせの時間より三十分も前に来てしまった。
もちろん彼はまだ来ていない。
でも本来私は時間よりも少し早く来てしまう性質なのだ。
咲乃はのろいから私はいつも待たされて、
「遅い」と開口一番に言うのはもうお決まりになっている。

待つのは嫌いではない。
何を話そうかとか、今日はどんな格好なんだろうとか、いろいろ考えて待つのは楽しい。
なにより楽しいことを少し待つくらいどうってことない。



・・・・もしかして、私、玲さんと会うのをそんなに楽しみにしているのだろうか?



ふとそんな考えが浮かんで、慌てて取り消した。

かっこよくて、気さくで、優しくて、しかもお金持ち。
そんな最高の条件を持った人に、私の想いが叶うはずがない。
高望みもいいところだ。私の手の届くはずのない人なのだ。
それに今日だって、彼にとってはお遊びのようなものなのだ。
そう自分に言い聞かせる。


密かに育ち始めた芽を摘んでいると、視界に影が落ちた。
「ごめんね、待たせたみたいだ。」
顔を上げると、すまなそうな顔をした玲さんがいた。

「いえ、時間通りですよ?私が早く来過ぎちゃっただけです。」
時計を見ると、待ち合わせ時間ぴったりだった。
息が少し荒い玲さんに、私は首を傾げた。
もしかして・・・走ってきた、とか?

「あぁ・・・この近くで下ろしてもらったんだけど、時間に間に合わないと思って走ったんだ。」
私が玲さんの顔を見ていたことに気がついたのか、照れたように言った。
楽しみにしていたから、玲さんが急いで来てくれて嬉しい。

「ありがとうございます。」
「いえいえ。じゃあ、行こうか。ここから少しだけ歩くけどいい?」
「はい、大丈夫です。歩くのは好きですから。」
まだ会うのは二度目なのに、隣に並んだときの安心感が不思議だった。
やっぱり面白い人だなぁと玲さんの話を聞きながら思った。










「おいしかったです!それにお店も素敵で・・・ありがとうございました。」
私はテーブルの向かいにいる玲さんに深々と頭を下げた。
遠慮をしていたものの、おいしいコースメニューを全部お腹にいれてしまった。
とても高そうなお店じゃなく、雰囲気の良い温かいレストランだった。

「いや、満足してもらってよかったよ。あ、まだデザート残ってるよ。食べれる?」
「はい。甘いものは別腹ですから。」
玲さんはおかしそうに笑う。

「そういえば初めて会ったときも食事でだったね。」
思い出すと、私はなんて食い意地をはっていたんだろうと恥ずかしくなる。
「・・・なんか私食べ物が大好きな子みたいじゃないですか。」
「あれ、違うの?」
「違いませんけど!」
玲さんはくすくすと笑う。私もつられて笑ってしまった。


パーティー会場ではこんな楽しそうに笑う人だとは思っていなかった。
不思議な雰囲気を持つ好青年みたいなイメージがあったけど、今はいたずら好きな子供みたいだ。
こうやって一緒に笑うことはとても楽しい。

デザートが出てきた。おいしそうなイチゴのミルフィーユだ。
玲さんは違うらしく、ガトーショコラのようだった。
「こっちも食べたい?」
視線が気がついたのか、玲さんはにやりと笑う。

「い、いいです!ここまで食べるとさすがに太りますから!」
このごろ怖くて体重計にのってないのだ。それにそこまで食い意地があるわけでもない。
「太ったほうがいいよ。痩せ過ぎで倒れちゃいそうだよ?」
「倒れませんよ。」
むっとして見つめ返すと、玲さんは少し考えている顔をした。

「・・・じゃあ、半分あげるよ。
俺、そこまで甘いもの好きじゃないから手伝ってもらえると嬉しいし。」
玲さんはそう言うとすぐにガトーショコラを切り分けた。
「・・・・・本当ですか?」
疑うように見れば、玲さんは笑った。

「そうだよ。まぁここのガトーショコラは甘すぎないから大丈夫だけどね。」
私は嘘か真かわからないが、玲さんに従うことにした。
そこでまずミルフィーユをいただくことにした。

一口食べると、甘いクリームが口の中に広がる。
「うわ、おいし〜。」
カスタードクリームはしつこくなくて、後味がすっきりしていた。
パリパリのパイも苺も美味しくて、どんどん食べてしまう。

そんなにがっつくのもよくないので、紅茶を飲んでいると玲さんが温かい表情で私を見ていた。
「・・・どうかしましたか?」
「いや、そういう風においしそうに食べてくれると連れてきた甲斐があるな〜と思って。」
にこにこ笑う玲さんに、私は恥ずかしくなった。

そんな風に優しく笑われると困る・・・。

赤くなった顔を精一杯隠すために、私は俯いてミルフィーユを食べることに専念した。




























「ねぇ、結構金持ちの家で玲って名前の人知ってる?」
本から顔を上げた彼は、少し意外そうな顔をしていた。
表情の変化の乏しい彼にしては珍しい。
そして、私が彼に質問するということも珍しい。

「・・・・・どうかしたのか?」
ソファによりかかっていた彼が、体勢を立て直す。
「別にたいした事じゃないけど・・・」
私は逆にソファーに寄りかかり、窓を見た。


サチのことが心配だった。
あの子は抜けていそうで結構しっかりしているから大丈夫だけど、
何かあるときは自分の持っているもの全てを投げ出してどこかへ行ってしまえる力もあるのだ。
私に出来ることは、その相手がどんな人物なのか知ってサチに協力するくらいだ。

私はもともと金持ちが嫌いだから、あまり会社や人に詳しくない。
苗字がわからなければ、どこの家の人なのかもわからないのだ。
婚約者である彼は、立派なビジネスマンだし情報も多く持っていると思う。

利用するのは嫌だが、サチのためだ。


「・・・まぁ、いいが・・・。その人は帝王の王に命令の令とかく「れい」か?」
「そう。・・・知ってるの?」
陵也はその人を思い浮かべたのか、苦笑した。
「俺の兄と幼馴染で、仲が良いから昔からよく会っていた。それがどうした?」

私は少し躊躇ってから、言った。
「その人・・・・どこの人なの?」
心臓がドキドキする。

「・・・・言ってもいいが、何故?」
射抜くようなスカイブルーの瞳に、私は素直に言った方がいいと思った。
空色の目の前では、私は何も隠し事ができない。

「・・・私の親友がその人と・・・ちょっと関わってるんだ。
その子のことが心配だから・・・間に入ってどうこうするつもりはない。
けど、苗字も知らないであの子の身元は知られているんだ。
こっちだってちょっとくらい知ったっていいだろう?」
最後は拗ねた子供みたいな言い方をしてしまって、後悔した。

私の様子にか、それとも「玲」に対してか、彼は薄く笑った。
「まったくあの人は・・・・彼はね、」
心臓がうるさい。怖い。

「彼の名前は吉川 玲。君でも知っているあの大企業の「吉川」の現会長の子息だ。
ゆくゆくはあの人も会長となるだろう・・・一人息子だし、
ちゃんとした才能もある。俺の尊敬すべき人の一人だ。」

吉川は日本の大企業の五本指に入るくらいの実力を持っている。
私の家はおろか、サチにとっては雲の上の存在だ。

私はそっと目を瞑る。

この前の週、サチと買い物に行ったときのことを思い出した。



『私ね、気にしないんだ。』
『・・・・・家の、こと?』
『そう。』
サチは困ったように笑った。

『玲さんて、昔の咲乃みたいに気にしてるみたいでさ・・・私、彼がどこの人でも気にしないのに。』
『・・・・・。』
『だって、玲さんは玲さんじゃない?』
『・・・あぁ、そうだな。』
困ったように笑うサチが、眩しかった。



『私は、咲乃を咲乃として見てるよ。「加村」の咲乃も、そうじゃない咲乃も・・・咲乃は咲乃だよ。』



そう言われて、私はどんなに救われただろう。

あの子にとっては本当にどれだけ偉い地位だって、どれだけ財産を持っていたって、関係ないだろう。
けれど、世の中には馬鹿がいっぱいいる。
だから・・・どうかサチが傷つかないといい。


私は、あの時のように何も出来ないのだろうか?




























「ごちそう様でした。」
お店を出て、改めてお礼を言った。

「いや、倖の食べっぷりを見れてよかったよ。」
「っ・・またそういうこと言って!」
睨むと、楽しそうに玲さんは笑った。
さりげなく名前を呼ばれて心臓がうるさい私の身にもなってほしい。

「送っていくよ。近くに車を止めてあるから。」
「でも・・・電車で帰ります。」
夜といってもまだ八時半だ。
食事をしただけだから当たり前の時間で、そこまで夜道が怖いわけでもない。

「いや、いくらなんでも危ない。ここは甘えて乗って行きなさい。何かあったら困るから。」
「・・・・はい。」
そう優しく諭されると、頷くしかない。
仕方なく、玲さんの後をついていく。


「・・・そういえばさ、」
玲さんが私に背を向けたまま話しかける。
「はい?」


「・・・あの指輪、誰かからの贈り物?」

胸元のリングが揺れた気がした。

脳内に津波のように押し寄せる記憶の波に、歩くことも忘れそうになる。

だが、なんとか残った理性で自分を保つ。


動揺してはいけない。

「・・・えぇ、そうです。シンプルだけど綺麗でしょ?・・・お守りなんです。」
首から下げたリングを手で触って笑う。玲さんは前を向いたままだった。
「・・・そう。いいね。」
玲さんの声はいつもと違って、どうしていいかわからず無言で歩くことにした。

雨の匂いを含んだ風が、音もなく吹くだけだった。







『まぁ、合格祈願のお守りってところだ。』
『・・・・なんか早くない?まだ六月だけど・・・。』
『細かいことは気にするな。』

飛び上がるほど嬉しかったけど、あの時は素直に「嬉しい」って言えなかったんだ。
でも「ありがとう」って顔を熱くさせながら言ったら、満面の笑みを浮かべてくれたね。

この先、この指輪があったらなんでも乗り越えられる気がした。







「・・・倖、」
私は思い出から現実に戻り、勢いよく顔を上げた。
真剣な面持ちの玲さんが目の前に立っている。

「・・・・なん、ですか?」
上手く笑えない。下手くそな笑みを浮かべても、玲さんは無表情で私を見ていた。



「・・・・・・・付き合わない?」


「・・・え?」


玲さんは目を細めて静かに微笑むだけだった。

心臓が、ドクン、と大きく音をたてた。





















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