足が軽く感じる。自然と足の運びが速くなっていて、胸がテンポ良く音を鳴らす。
顔はわずかに緩んでいるかもしれない。
顔を引き締めて、私は黒を基調にしたちょっとシックな建物の前で止まる。
「Smooth」と大きく書かれたドアを押して入ると、美容院独特のシャンプーやワックスの香りがする。

「いらっしゃいませー。あ、未織(みおり)ちゃん。」
「こんにちは。」
私はカウンターにいるのは顔馴染みの美容師、美香さんに挨拶する。
受付の前にあるソファはお客さんで埋まっていた。相変わらず繁盛しているらしい。

「今日もカットに来ました。」
メンバーズカードを出して、ふと気がついた。
「あ、美香さん髪ちょっと赤くしました?」
「さすが未織ちゃん。染め直したんだー。」
美香さんは肩までの髪を少し触った。
この前見たときは普通のブラウンだったが、今回はちょっと赤っぽい。
こういう髪の色もよく似合うと思う。

「そういう色も似合いますね。」
美香さんは嬉しそうに笑った。
「ありがとう。担当はテツ君でいいよね?」
「はい。」
「じゃあ座って待ってて。」

残り少ないソファに座り、私は置いてある雑誌を見ずに店内を見ていた。
すると、ソファに近づいてくる人がいた。
「こんにちは、岸野さまですね?」
アルトの綺麗な声がよく響く。
少し長い肩までの髪は綺麗な茶色で、見惚れるくらいの美青年だった。

「は、はい。」
私の隣に座っていた女性(岸野さん)は顔が紅潮している。
「初めての方ですね。今日担当させていただきます、ジンです。どうぞこちらへ。」
口許に微笑をかかえ、ジンさんは岸野さんをエスコートする。

ジンさんはカリスマの美容師。とても人気で、ここが繁盛しているのもジンさんの力だと思う。
綺麗な顔のせいで女性に人気だけど、顔だけじゃなくジンさんは技術を持っている。
雑誌でも取り上げられているくらいだし、女性ファンはとても多い。

私がジンさんを目で追っていると、低い声が聞こえてきた。
「未織ちゃん、お待たせしました。」
顔を向けると、目を細められた瞳と出会った。
「こんにちは。」
「こんにちは。じゃあ行こうか。」
テツさんが歩き出すと、軽そうなライトブラウンの髪がふわりと動いた。

テツさんはカリスマってほどじゃないけど、私はとても好みが合う。
ジンさんは美形だけど、テツさんは親しみのある笑顔がとても素敵だと思う。
「Smooth」ではジンさんが注目されやすいけど、ナンバー2は間違いなくテツさんだろう。

「今日はどんな感じにする?」
鏡の前に座り、私は鏡越しにテツさんの顔を見る。
「んー・・・ちょっと重くなってきたんで、そこを軽くしてもらって、あと毛先を整えて欲しいです。」
「了解。」
口端を上げて挑発的な笑みを見せたテツさんに不覚ながら目を奪われてしまった。




初めはジンさんの方に目がいっていた。
別に好きってわけじゃないけど、目の保養にいいなぁと思ったし、カットしている姿はとてもスタイリッシュだった。
でもとても人気だからジンさんにカットしてもらえなくて、代わりに担当したのがテツさんだった。

人懐っこい笑みで、カット時間は短くて自分の好みぴったりだった。
カットの最中のおしゃべりは面白くて、もっと鏡の前に座っていたいとも思った。

ハサミの軽快な音。柔らかく髪に触れるテツさんの指先。低く優しい声。

その全てが心地良くて、気がつけば髪を伸びるのを待っていた。



「未織ちゃん?寝ちゃってるの?」
シャワーの涼しげな音で私は我に返った。
「い、いえ。寝てませんよ。」
慌てて言い返すと、寝てもいいよ、と言う声がシャワーの音と共に聞こえた。

いいえ、貴方のことを考えていて呆けていたんです。

なんて言うはずなく、私は適当に返事を返した。
髪から伝わる優しい手の感覚に、寝るどころかドキドキして心臓の音が聞こえないか心配になってしまう。

「もう未織ちゃんは高2だっけ。」
「はい・・・もうすぐ3年ですね。」
秋の文化祭が終わり、年を越したらもうあっという間に3年になってしまうだろう。
今は文化祭の準備で楽しいが、それが過ぎれば勉強が本格化してくるだろう。
3年になったらきっと忙しくなるのだろう。そうしたらここに来る回数も減ってしまう。

「じゃあ忙しくなるねー。体に気をつけてね。」
「はい。テツさんこそ。」
「ありがとう。」
シャンプーをしてもらっているからわからないが、きっといつもの笑顔をしているのだろう。
目を閉じて、聞こえないように小さく溜め息を漏らした。

片思い一年半。
こんなに自分が一途だとは知らなかった。でも告白など出来るはずもない。
まぁテツさんは若いけど、それでも私はまだ高校生で子供と思われているだろう。
テツさんはとても良い人だから、彼女がいたっておかしくない。
玉砕覚悟で告白したっていいけど、こうやって髪を触ってもらえなくなると思うと躊躇してしまう。
でも、この気持ちを閉まっておくは辛い。どんどん欲張りになっていくから。

そんな堂々巡りが続くばかりで、結局私はこの店に通い続けることしか出来ていないのだ。


「・・・なんかあったの?」
「え?」
鏡越しでテツさんと目が合う。心臓がうるさくなっている。
「いや、くらーい顔してるよ?」
「あ、えぇ・・考え事を。その・・・進路とかあるんで。」
嘘っぽい嘘だろうか。我ながら苦しい。

「そっか。進路の時期だよな。どこ行くの?」
チョキ、チョキ。軽快な音とテツさんの真剣な瞳。
「大学はまだ候補をしぼっている状態で・・・理系を。」
「へー。何やりたいの?」
髪を触る手はとても気持ちよくて、心臓の音が耳を塞ぐ。



ずっとずっと、このままがいい。






「お疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
別人の髪みたいに気持ち良い毛先が肌に当たっている。
「未織ちゃん、お疲れ様。」
カウンターに行くと美香さんが笑顔で迎えてくれた。
会計をすればもうお店を出なくてはいけない。
嬉しくて、楽しくて、幸せな時間もこれで終わりだと思うと寂しい。

「ありがとうございましたー。」
アルトの声に私が目を向けるとジンさんがお客さんを送り出していた。
あーあ、お客さんもソファに座っている人達もみんなジンさんに釘付けだ。
「カットだから3800円です。」
「あ、はい。」
私は慌てて視線を美香さんに戻し、財布からお金を出す。

おつりを待っていると、横に立っているテツさんと目が合った。
こうも急に目が合うと何を話していいかわからない。
いつも柔らかい笑みを浮かべているのに、テツさんは何故かじっと私を見ていた。
どうしていいかわからないでいると、美香さんがおつりをくれてから視線を逸らせた。

「ありがとうございました。また来ますね。」
「お待ちしてます。」
可愛い美香さんの笑顔に送り出され、出口に向かおうとするとこちらに来たジンさんと目が合ってしまった。
「ありがとうございました。」
営業スマイルだと思うが、こうも整った顔で笑われると見とれてしまう。
このごろジンさんは目の保養に良すぎると思い始めてきた。
私は良い言葉が見つからないので、軽く会釈した。

「ありがとうございました。また来てね。」
テツさんがドアを開けてくれる。
今度目を合わすといつも通り笑っていてくれた。
「・・・はい。」
私はこの笑顔が好きだ。












年が明けて少し経った頃、私は「Smooth」に向かっていた。
テツさんと久しぶりに会うのが楽しみだ。
なんと言おう。

あけましておめでとうございます?

それはちょっと時間が経ち過ぎている。

今年もよろしくお願いします。

うん、こっちの方がいい。今年も、テツさんに髪を切ってもらいたい。

「Smooth」のドアを開けたら、ちょうど後ろからも女の人が来ていた。
ドアを開けていると、女の人は優しく笑った。
「ありがとう。」
真っ黒な髪にゆるいウエーブ。テツさんと同い年くらいだろう。
綺麗と可愛いを五分五分に持っているような人だ。
白のコートがとても似合っている。

「いらっしゃいませー。」
美香さんの声が聞こえる。店内は午前中のためか、いつもに比べれば人が入ってなかった。
「あ、未織ちゃん。」
美香さんが親しみの込められた笑みを浮かべる。
「今日もカットで。」
カウンターにメンバーズカードを出す。
「はい。担当はテツ君でいいわね。じゃあちょっとかけててね。」
「はい。」

ソファに座っていると、私と一緒に入ってきた女の人カウンターに立っていた。
「今日が初めてなんですが。」
「ありがとうございます。こちらにお名前など書いていただけますか?」
「はい。」
女の人は私の隣に座った。目が合った瞬間ちょっと微笑んでくれた。

ほのかに香る香水の匂いは嫌ではない。
私も大人になればこんな女の人になれるだろうか・・・・無理だろうな。
ぼんやりと女の人を見ていると、こちらに近づく足音が聞こえた。
「沙耶、」
こんな親しみの込められた、温かい声など聞いたことがなかった。
驚いて顔を上げると、柔らかく微笑んでいるジンさんがいてさらに驚いた。

「仁。」
女の人の顔は嬉しそうに綻んだ。
「いつ戻ってきたんだ?」
「正月からよ。今日はカリスマ美容師ジンさんに髪を切ってもらおうと思って。」
沙耶と呼ばれた女の人は私に向けた綺麗な微笑みではなく、茶目っ気たっぷりの笑顔だった。
「お前な・・・」
「あら、お客様にお前?それとも売れっ子さんは予約なしの私を切ってもらえない?」
「時間あるのか?」
「うん、今日はまるまる開いてるの。夕食一緒に食べようよ。」
「あぁ。じゃあちょっと待ってろ。」
カウンターへ行くジンさんを、沙耶さんは優しい目で見守っていた。

ジンさんを呼び捨てにする綺麗な女性・・・しかも夕食のお誘い・・とても親密そうだ。
一体この二人はどういう関係?!!
ジンさん観賞者、兼傍観者としてはとても気になる展開だ。
あんな親しげで柔らかい表情をするジンさんなんて見たことがなかった。
いつもクールでかっこいいイメージなのに・・・。

「お待たせしました。」
考えに没頭していると、大好きな声が聞こえて顔を上げる。
「あ、お願いします。」
「はい。」
テツさんの笑顔を見ると、今まで考えていたことなんて全部吹っ飛んでしまう。






「―――親友らしいよ。」
「え?」
脈絡のない言葉に私はなんのことだかさっぱりわからなかった。
けれどハサミの小気味良い音は続いている。
鏡に困惑した自分が映っていてマヌケな顔だと思った。

「・・・あの女の人と、ジンの関係。」
テツさんがそう言ってくれて私は納得した。そんなことすっかり忘れていた。
「へぇ、そうなんですか。確かに親しそうでしたよね。」
妙にギクシャクした雰囲気がするが、気にしないふりをして言う。

「あぁ。でもあんなジンの姿俺も見たことなかったよ。」
「あ、テツさんもですか?びっくりですよねー。」
私は苦笑した。ジンさんのファンなら女の人とジンさんの関係を恋人同士と誤解しかねないだろう。
それに客観的に見ても、そう見えてしまう。


なんとなく気まずい沈黙が流れる。
なんか今日のテツさんは変だ。そういえばあまり笑っていない。
私は何かまずいことでもしただろうか?いや、私ごときで影響されるわけがない。
体調でも悪いのかもしれない。それか不機嫌とか。



「だからまだ望みがあるんじゃない?」
「・・・・何にですか?」
私の頭はクエスチョンマークをいっぱい並んだ。
望み?ってジンさんの彼女になるとか?なんで私にそんなこと言うのだろう。

「なにって・・・」
ハサミの音が止まる。眉間に皺を寄せているテツさんと鏡越しで目が合う。
「・・・・未織ちゃん、ジンのこと好きなんだろ?」
「・・・え、えぇ?!!」
私は思わず立ち上がりそうになったが、なんとか抑えた。
思ったより大声を出してないみたいで、店内にいるスタッフには聞こえていないみたいだ。

私が、ジンさんを好き?!
そりゃ美容師としてのジンさんはとっても好きだけど、それはファンとしてだ。
あんな綺麗な顔をしているから、ついつい目で追って観察してしまうが、
本当に好きで、ドキドキしてしまうのはテツさんだけだ。
結構ショックだ。
ジンさんを好きだと思われていたなんて・・・・。



「・・・違うの?」
私の驚きの表情に対し、テツさんはきょとんとしていた。
「違います!確かにジンさんの美容師としての技術とか凄くて、
ファンとして好きですけど、恋とはまた別物です!」
この店に来てこんなにきっぱり言うことはなかった。
でもそうじゃなければ誤解を完全に拭えない。

私の完全否定にテツさんはちょっと間抜けた顔をしていた。
「・・・・いや、こっちはここ来るたびにジンを見てるから・・・」
「だってあんな綺麗な顔、女の子だったら誰だって振り返りますよ?」
ムキになって強い口調になってしまう。
そうしたらテツさんも黙ってしまって、気まずい空気だけが残った。

「・・・焦って損した・・・。」
呟かれた言葉に、私は思わずテツさんを振り返った。
テツさんは少し顔を赤くしていた。たぶん、私もそんな感じだと思う。
今度は冬のくせに暑くなってきた。頭がぐるぐる回って、口が半開きのままのことも忘れていた。

「・・・・で、結局未織ちゃんの意思はどうなの。」
テツさんは綺麗にセットされた自分の髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。たぶん、照れているんだろう。
「・・・・秘密ですよ?」
私は自分でも不思議なくらいに不敵な笑みをして、テツさんの耳に顔を近づけた。

触れる体温






(好きと言ったら貴方はいつものように笑ってくれるかな)

























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