春に咲く別れ





春は出会いと別れが交錯する。

そう一言が片付ければ聞こえはかっこいいが、実際切実な思いがどっさり詰まっている。
まだ咲く気配のない桜を眺めながら私はぼんやりと別れをかみ締めていた。

第何回かの卒業生に私はとうとうなってしまった。
それは小学校でも体験したものだけれど、中学じゃあ一味違う。
高校になればみんなバラバラになってしまうのだ。
そんなこと当たり前だし、冷静に考えれば仕方ないことでどうしようもなく、現実を見ればいいだけだが、
卒業式という雰囲気が私を感傷的にさせる。
だからといって涙も出てこないのが不思議だ。

卒業式は概に終了して記念写真も撮ってしまったので、今は友達と泣いて学校との別れを惜しんだり、
学校を全部見回したり、校庭で遊んだり、みんな思い思いのことをしている。
そして私は友達と別れ、ぼんやりと校舎の裏側にある植え込みのレンガに座って桜の木を眺めていた。

どうせなら豪華に桜並木でも作ってしまえばいいのに、この学校にある桜の木は目立たないここに一本しかない。
もしかしたら学校に桜があることを知らないで卒業する人もいるかもしれないというくらい存在感は薄い。
そんな桜の木を見つけたときの小さな喜びは今思い出しても微笑んでしまう。

入学したばかりのとき、友達がまだできていないころ私の遊びは校内の探検だった。
狭い小学校でもその探検は度々やり、普通なら目に止まらないような些細なことを発見して喜んでいた。
その時と同じように、広くもない学校の中を何か面白いことはないかと歩き回るのも楽しかった。
今思えば独りで校内を歩き回るなんてずいぶん根暗な感じがするが。

そして見つけたのは校舎の裏にある桜の木だった。
もう散り始めていたが、透明感のあるピンクがかった白の花びらは私の目に鮮やかに映った。
桜にしては小さくて、ひっそりとなんの違和感もなくそこにあるので、花がなければ桜と気づかなかっただろう。
でもそんな桜を私はすごく気に入った。
堂々とした感じがしなくて、なんとなく華やかなイメージのある桜として役不足であるが、繊細なその姿が逆に私の心を掴んだ。

そんな桜とも今日でお別れになる。

見つけたあの日から、私は何か大きなことがあるたびにここに来た。
運動会などの学校での行事のとき、こっそりとここへ来て桜を眺めて休んだ。
友達と喧嘩したとき、ここで声を殺して泣いた。
とても嬉しいことがあったとき、桜にそのことを話すようにずっと見ていた。

ここは私が校内で息抜きのできる場所だ。
友達と上手くいっているし、クラスで特に問題があるわけでもないが、外は多少肩が凝る。
例えれば家の自室でごろっとベットに寝転んでいるような、安心感と脱力感を味わえるのだ。



「・・・やだなぁ。」
高校に行くのが嫌なわけではない。とても楽しみだし、新しいものが私を待っている。
ただ、この桜とお別れをするのがつらい。
他では体感できないような居心地のいいこの場所を去るのは悲しい。

風が吹いて、私は身震いした。
もう3月だというのに風は冷たい。校舎の裏のため日当たりは抜群に悪い。
夕方ごろにならなければこちらに太陽の光は入ってこない。

肩を上げて体を丸くしたとき、肩に温かいものが落ちていた。
「・・・え?」
びっくりして周りを見ると、私の横に男の人が立っていた。
いつの間に私の横にいたんだろう。全く気付かなかった。

「少し寒いから、どうぞ。」
柔らかい声に私はショールが自分にかけられていることに気がついた。
薄紅色の綺麗なショールだ。感触はコットンのように柔らかく、とても温かい。
「え・・・あ、ありがとうございます。」
このままいりませんなんて言えず、私は軽く頭を下げた。すると男の人は私の隣に腰掛けた。
びっくりして何か言おうと思ったが、いい台詞が思いつかず私は開いた口を閉じた。

それから改めて男の人を観察する。
少し赤みのある頬は健康的で、濃い茶色のタートルに黒のズボンが似合っている。
顔から見て20代前後と若い。けれど、髪の毛の色は真っ白。
変な人。卒業式に来ていた父兄だろうか。

「ご卒業おめでとうございます。」
急にそういわれて、一瞬誰のことを言っているのかわからなかった。
「あ・・・ありがとうございます。」
右胸のコサージュをつけているから、卒業生だとわかったのだろう。
そうでなくてもまだ学校に残っているのは卒業生くらいだ。

戸惑いながらも男の人は私を見て穏やかな笑みを浮かべていた。
静かに春を告げる花のように、静かで温かだった。
「あの、私の顔、変ですか?」
彼の笑みは心地良いがそんなに見られたら気にしてしまう。
彼は少し慌てたような顔をしたが、戸惑ったように笑った。

「すみません、つい。」
「はぁ・・・」
何が「つい」なのだろうか。
その先を聞きたいがそこまで問い詰めるのもどうかと思うのでやめた。

「あの、貴方はここに桜の木があること知っていますか?」
私は沈黙に耐えられず、話題を振ってみた。
「・・・えぇ。」
少しびっくりした。知っている人がいるのが嬉しいような、
自分だけの秘密じゃなくなってつまらない気持ちになる。

「いつ見つけたんですか?」
「ずいぶん昔のことでもう忘れてしまいました。」
にっこりと目を細めて笑う姿は穏やかな春の陽気を思い出させる。
私は本来こういうトロい感じの人が嫌いだが、不思議と一緒にいて気分が穏やかになる。

「私は2年前に見つけたんです。入学してまもないころに。
自分だけの秘密みたいにして、仲良しの友達にも教えてないんですよ。」
男の人は嬉しそうに笑った。私はそれが何故だか嬉しくて、夢中で喋った。
悲しいときここに来て、気持ちを落ち着かせたとか、春になって咲く花はとても綺麗だとか、
誰にも話さなかったことを男の人にすらすらと話した。
男の人はずっと私の話を聞いて、頷いてくれた。

「だからここの思い出がいっぱいあるから、卒業して私この桜とお別れするのが辛いんです。」
そっと桜の木に視線を移す。
いつもと変わらず、ひっそりとそこにある。その不変が私を安心させる。

「卒業してからも時々ここにくるのはどうですか。
ずっと前からここにあったのだから、きっと変わらずここにいますよ。」
「そう・・・ですね。」
高校生活はきっと忙しいし、やりたいことは山ほどある。
けれどそれに少し疲れたとき、またここに来るのはいいかもしれない。
この桜の木が変わらずあれば、私はきっと安心できる。

「私が高校生になっても、大人になっても、必ずここにこの桜の木はあるのかな。」
「ありますよ。千香さんが望めば、私はずっとここで待っています。」
「・・・・・・・え?」
私は男の人を振り返る。何故私の名前を知っているの・・・?


冷たい風になびく白い髪が揺れている。それはまるであの時見た桜の花びらのようだった。


「・・・貴方・・・・」
「ご卒業おめでとうございます。私も貴方と別れるのは辛い。」
そっと私の髪を撫でる。その手はとても温かく感じる。

「けれど、私は変わらず千香さんを待っていますよ。」
淡く優しく温かく、彼は微笑む。
その微笑みにあの桜に目を奪われたときのように、見惚れる。

私は感情では彼はあの桜の木なんだと納得しているのに、
理性がそれについていかないというパニック状態に陥っていた。
彼は立ち上がり、桜の木へ向かおうとしていた。
「あ・・あの!」
何か言わなくてはいけない。そう思って私は彼の服の裾をひっぱった。

「あの・・・・ありがとう。」
それ以外の言葉は見つからなかった。
どんなに私が変わっても、友達が変わっても、時が変わっても、あの桜の木は変わらずにいてくれた。
私を安心させてくれた。


「お礼を言うのはこちらのほうです。」
彼は少しかがんで私に目を合わせる。
自然と胸を打つ脈が早くなっていく。




それは一瞬の出来事だった。



唇に降ってきた感触は、まるで桜の花びらに触れているみたいだった。


私は目を丸くさせ、呆然とするしかできなかった。

微苦笑しながら彼が私を見てくる。



一体どれくらい沈黙していただろう。
ふと彼は背筋を伸ばし、私に笑いかけた。

「またいつかお会いできる日まで。」
彼が私の頬をそっと撫でた。
するとあっけなく、ろうそくの火を消すかのように完璧に私の前から消えてしまった。
私はそれでもまだ木のように静止してつっ立っていた。


また冷たい風が吹くと、なにかがはためいているのがわかった。
私の肩にはあの桜色のショールがあった。すっかり存在を忘れていた。
そしてこれは現実なんだと妙な確信を持つ。

静まりかえる校舎の裏側。
いつの間にか夕陽が差してきている。
今日も終わりに近づいていっている。確実に時は止まらず動いている。


私は今日、卒業する。この桜ともお別れ。

鼻につんと何かが込み上げて、私はショールに顔を埋めた。
春の匂いがして、彼に慰められている気がした。






























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